∮ Performer,Singer & Songwriter,Kanafu Marie(カナフ マリエ)のブログです♪

by kanamarie

カテゴリ:花束のひと( 18 )



みなさま

おはようございます!
今日もここに来て下さって本当にありがとうございます。


長い間お待たせして申し訳ありませんでした!


じゃぁ、書きますね!!^^


最後は思い切り元気に弾けて書きますね〜♪下のポストでは、本当にごめんなさい…。


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いきなり、ちょっとショッキングな事を書きますが、驚かないで下さい・・・ネ^^


実は、marieはその頃、


髪の毛が、無かったんです・・・。

(うう、、今このPC打つ手が、、震えています・・・^^;;;)





と、言っても、全てでは・・・なかったんですよ・・・?


だから、ウイッグ(付け毛)を付けていたんです・・・。


前髪の、上の方から。つなぎ目を・・・ヘアバンドで隠して・・・。



病気の治療・・・とか、そんな事が原因ではなくて、


ストレスと・・・お酒と・・・何日間も眠らないような不規則な生活から来る、精神的なものでした。


(ごめんなさい・・・。みなさま、引かないで下さいね・・・。今はもう、ちゃんと自分の髪の毛ですよ^^)




I川さんと初めて出逢った時も、既にそう言う状態だったんです。


パリでも、ずっとそうでした・・・。


てらちゃんだけは、その事を知っていました。


てらちゃんには何でも言えたので、そのウイッグを外したmarieの醜い、みっともない姿を見せても・・・


私は何とも思わなかったのです。

(てらちゃんは、泣いていましたが・・・)



I川さんやS田さんとお付き合いをしても、深い関係にまで至らなかったのは、

神戸にいた時の恋愛のトラウマもありましたが、


そういうことを、知られたくなかったから・・・というのも、少しはあったかも?知れません…。



(ちょっと書くのが辛いですが・・これ、書かないと、I川さんの真実が書けないんです・・・。許して下さい…。泣)



ある日、I川さんがあまりに熱心にmarieと外泊する事を頼んできた事があったので・・・

marieはもう・・・どうやって断ればいいのか・・・分らなくなり、遂に、その事を言ってしまいそうになったのです。



「I川さん、あの、、私、、あの、、、私、本当は・・・」




-----I川さんは、次のセリフを言おうとしたmarieの口に、自分の指をあてて・・・





「かなちゃん、もういいよ。全部言わなくて、いいよ・・・」





・・・と、言ったのです…。





I川さんは、最初から気が付いていたのですね…。



びっくり・・・しました・・・。






ある日、marieが貧血で倒れて寝込んでいた時に、I川さんが上野毛の家にお見舞いに来てくれたことがあったんです。




その時、父が、(その日はI川さんが来る事を知っていたので、珍しくお酒を飲んでいませんでした)こんな事をI川さんに言ってくれたのです・・・。








「こんな情けない父親の僕が言うのは、気が引けるが・・・



君は、もし、この子のことが本当に好きなのなら、



演歌の『矢切の渡し』じゃないけれど、



”連れて逃げてよ…、ついておいでよ・・・”




・・・と、





親の心にそむいてまでも・・・と、歌にあるように・・・



どんなことがあっても、この子と結婚して、幸せにしてやる、という気持ちになるのが、




本当の愛情なんじゃ・・・ないのか・・・。」








marieは、そんな事を言う父に、びっくりして・・・言葉も出ませんでした・・・。

父は私がI川さんとお付き合いする事を強く、反対していたはずなんです・・・。
あんなに、毛嫌いしていたのに・・・。




たまたま、家に戻って来ていた母も、その日はしっかりと(何だか私にすまなさそうにしながらも・・・)



I川さんにお茶を出してくれたりして・・・(涙)






普通の家の、普通に娘を想う、両親の姿・・・が・・そこには、、ありました・・・。(涙)








I川さんは、一瞬、固まっていましたが、




「はい、、。


僕も、、、かなちゃんのことは・・・考えては、いるんですが・・・」





と、言った後、






何だか逃げるように、帰って行きました。






I川さんとは一生お付き合いをしても、一生結婚は出来ない、と自分では思い込んでいたので、




父がそんなことを言ってくれるまでは、I川さんの行動や愛情に、余り疑問は持たなかったのです。




後日、I川さんはやっと、本当のことを言ってくれました。

それは、実は、こういう事だったんです・・・。














「僕は、かなちゃんがすぐに死ぬと、そう思っていたんだ!






しょっちゅう倒れるし、髪の毛だって無いし。

でも音楽の夢があって、頑張って、

でも、家族があんな状態で、弟さんは障害者だし・・・



可哀想だったんだよ!


だから、応援したかっただけなんだよ!


僕の奥さんだって、だから、かなちゃんと一緒にいることを許してくれたんだ・・・



かなちゃんが、可哀想だから!



でも、もうすぐ死ぬって(医師から)聞いたのに、



かなちゃんは、いっこうに死なないじゃないか!




きっと、パリで最期を迎えると、思っていたんだよ!!」








・・・それを聞いた時、marieは、もう・・・呆然と・・・してしまいました・・・。

涙さえ、、出なかったです・・・。







返す言葉も無く、何も言わずにその場を去りましたが‥・・・。






後でてらちゃんに聞くと、



あの時、---てらちゃんが、I川さんの前で土下座をした時---



てらちゃんは既に、それと同じ事を、I川さんの口から聞いていたのだそうです・・・。





それで・・・てらちゃんは、どうしてあんなにムキになって、私がI川さんとお付き合いする事に反対していたのか・・・


やっと、理由が分ったのです・・・。


そして、どうしてそれを私に言えなかったのかも・・・。







---”私はいったい・・・今まで何をやっていたのだろう・・・

こんなに沢山の人達を、苦しませて・・・”---






一瞬のうちに、目が、醒めました。












---それから、何ヶ月経ったでしょうか・・・。半年か…それ以上は経過していたと思うのですが…、





山手線の目黒駅に降りて、改札を出た時、


誰かと待ち合わせをしている(であろう)I川さんと、偶然バッタリ出逢ってしまったんです。






「あら!?今日はお花束、持っていないの?I川さん!(笑)」




marieは、笑顔で話しかけました。




「かなちゃん…久し振りだねぇ・・・。元気だったかい・・・?」




I川さんは、ビクビク、そわそわしているようでした。

きっと、待ち合わせている人に、私と一緒の所を見られたらマズい、と思っていたのでしょうね(苦笑)






marieは、




「ええ。元気よ!^^




ごめんね。




私・・・まだまだ死なないから。




夢を叶えるまでは、死ねないから。







それにこれ(ウイッグの髪)は、ただのおしゃれだから!(^^)」









-----そう言って、笑顔で・・・今度は本当にちゃんとお別れをする事が出来たのです。











・・・あれから長い間、I川さんのことは、あまりいい思い出とは思えなかったのですが、、


だけど、I川さんは、I川さんなりに、一生懸命、して下さったんだなぁ〜と、最近そう思うようになりました・・・。


最後に言われた事は、辛かったですが・・・。






だけど、それ以上に、いい思い出があります。






それは、、、




あの時の、父が言ってくれた『矢切の渡し』の言葉です・・・。





今でも思い起こす度に、泣けて来ます・・・。




親の愛って、本当に測り知れないくらい大きく、そして深いものですね・・・。(涙)









*天国のパパ、ありがとう・・・。*









みなさま、



『花束のひと』、最後まで読んで下さって本当に本当に、ありがとうございました・・・☆


みなさまが読んで下さったから、最後まで、書く事が出来たのです。


そして、この『花束のひと』シリーズを書いている間に色んな奇跡が、起こりました☆


それはきっと、これを読んで下さった優しいみなさまの愛が与えて下さったのだと・・・そう信じています。







*みなさま、ありがとうございます・・・!!!*









心からの感謝と共に、あなたと共に♪

kanafu MARIE
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by kanamarie | 2007-04-11 04:48 | 花束のひと | Trackback | Comments(10)


みなさま

こんにちは!
今日もここに来て下さって、本当にありがとうございます。


昨夜、ある方から頂いたメッセージの中に、こんな素敵なお言葉が書かれていました。


>”神様に喜んで頂けること、いっぱいしたら本当にすごい事が返ってくるのね。 ”


---笑文さんからのメッセージです。(涙)


こんなメッセージを贈って下さる方がいるなんて、それこそ本当にすごいことですよね…。


神様に喜んで頂ける事・・・



marieは、そんな事は何一つ出来ていないけれど、

ありがとう…と感謝すること、人を許す心、ありのままを受け入れて謙虚に謙る心・・・。

見えないチカラを信じること、未来を切リ開き、夢を叶えるために前に進む事・・・。



それらはみな、みなさまが教えて下さったことです。



感謝します・・・。(涙)





それでは、これから、『花束のひと』の最終話を書いていきます。




書きながらアップして行きますので、お時間のある時に覗いてみて下さいね。




これを読んで下さった方々、そして書く度に感想をコメントやメールで贈って下さった方々、一生懸命書きなさい、思うままに書きなさい、と背中を押してくれたmarieのパートナーの方に、


心から、感謝をいたします・・・。

(それから今ここでもう一度、みなさまに本当のことを伝えるために、ありのままを書くことを許してくれた母に、感謝します…。)




前にも書きましたが、もしも余りに辛いシーンに、不愉快な思いをされたら、どうかその部分はスルーして下さいね。


その箇所は最初は書かないつもりでしたが、



もう昔話です。(笑)その時があって、今、みなさまにこうして出逢えた幸せがあるのですから、

そのまま、書きますネ。




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パリから日本に帰国した私を、成田空港で I川さんが待ってくれていました。


いつものように、お花束を持って・・・。


「かなちゃん、お帰り!」

と迎えてくれたI川さんでしたが、marieの予想とは裏腹に、余り嬉しそうではありませんでした・・・。


何か、困っているような?表情にさえ、見えました…。



都内の静かなレストランで、お食事をしながら久し振りに会話をして・・・

その後、marieは帰国した事を母に電話で伝えました。



その時、母はこう言ったのです。



「どうして帰って来たの!?勝手な事しないでちょうだい!!

もう、上野毛の家に戻って来られたら困るわ!

お店にも来ないでよ!!」



marieは、お家もお店からも、母に閉め出されてしまいました。



パリから帰って来て・・・、戻る場所が無くなってしまったのです。




どうして、こんな酷い目に遭わなければいけないの・・・?

上野毛の家(マンション)も、渋谷のお店も、元はと言えば私が
家族のために、母のために一生懸命働いて、そしてU社長と出逢い、準備したものなのに・・・



パリから帰って来て、こんな風に路頭に迷うようなことになるなんて・・・。





その時、marieが泣きながら電話をして、助けを求めた人は、


I川さんではなくて、てらちゃんでした。




成田空港にはI川さんに迎えに来てもらいながら、やはり私は、てらちゃんを頼りにしていたのです。


電話越しに、てらちゃんの声を聞いたmarieは、気が狂ったように泣いてしまいました。


てらちゃんは、


「かなちゃん!!落ち着いて!!!


酷いな!!どうしてこんなことになるんだよ!!!」



・・・と言った後、


「これから行くから!」



と言ってくれました。




でもそこで、てらちゃんに来てもらって、marieのその夜泊まる場所を確保してもらったら、もしかしたら、てらちゃんと一緒に一夜を過ごすことになってしまうかも知れません。

私は号泣しながらも、


そう言う部分だけは、しっかりと頭が冴えていて・・・





「いいの!来ないで!!」




・・・と、言ってしまいました・・・。






てらちゃんは、



「分ったよ・・・。お前、相変わらずなんだなぁ、、。」


と言った後、



「ママさん(marieの母の事です)がお店に行った後に、上野毛のマンションに戻ったらいいよ。

かなちゃんのマンションじゃないか。

な、大丈夫だから。


そこに帰って、取りあえず体を休めればいいよ。


明日、俺、何とかするからさ、な?」


…と、言ってくれました・・・。




marieは勇気を出して、恐る恐る、上野毛のマンションに行きました。


自分の家に帰るのに・・・情けない事ですよね・・・(泣)



そ・・・っと、ドアを開けると・・・



家の中から、異様な匂いが・・・漂って来ました・・・。



“何…?この匂い・・・”



玄関にスーツケースを置いて、中に入って行きました。



奥の部屋で、弟が寝ていました。


ものすごい、匂いがしていました。



「ぼんちゃん(弟の事です)・・・」



・・・と、呼び掛けると、弟は目を覚まし、





私の顔を見て、










「おねえちゃん!





帰って来てくれたの!?




ありがとう、ありがとう!!!


帰って来てくれてありがとう!!!




僕は、嬉しいです!!!」









・・・と、笑顔でいっぱいにして、嬉しそうにガッツポーズをして、全身で私が帰って来た事を喜んでくれたんです・・・(涙)



その時、ぼんちゃん(弟)は、嬉しそうに笑いながらも、ブルブルと震えていたんです。



どうして・・・?



と、、思っていたのですが…



その時にぼんちゃんが着ていたパジャマも、そしてお布団も、



冷たく、びしょびしょに、濡れていたんです・・・。




そして、枕やぼんちゃんの顔の口からほっぺの辺りには、血の跡が付いていました・・・。





弟は、精神薄弱ですが、てんかんの発作も頻繁に起こすんです。



てんかんの発作が起きる時には、心臓は停止していて、口から泡を吹き、口の中にタオルか脱脂綿を入れないと、舌を噛んでしまったりします…。


そしてその発作と同時に、失禁してしまったりも…するんです…。




弟は、一度(いえ、、多分…もっと何度も…)そんな状態になったお布団の上に、その時濡れたパジャマのまま、着替えも無く・・・



そのまま、寝続けていたのです。



何週間も・・・。







何と言う事・・・。



「ぼんちゃん!こんなところに、こんな格好で、ずっと寝ていたの!?」





「はい・・・。僕は、寒かった・・・。でも、おねえちゃんが帰って来てくれたから、もう、大丈夫です!!

良かった!


僕は、嬉しいです!!僕は、大丈夫です!!!」





私は、泣きながら、自分の着替えもそこそこに、お風呂を沸かし、弟をお風呂に入れました。







弟は、ブルブル震えながら・・・






「温かいです、温かいです・・・。





おねえちゃん、帰って来てくれて、ありがとう!!!僕は、嬉しいです・・・っ!!!」






と、何度も何度も、両手をグーにして、その腕を振り上げて、






「ありがとう、ありがとう・・・」






・・・と、繰り返し繰り返し・・・言ってくれていました・・・。





弟が、こんな思いをしていたというのに・・・私は、パリに行ってて・・・。



本当なら、



「自分を置いて、一体どこへ行っていたの!?おねえちゃん!!」



・・・と、責められても仕方がなかったくらいなのに・・・、





「帰って来て”くれて”ありがとう・・・」




と言ってくれた、ぼんちゃんの言葉には・・・返す言葉がありませんでした・・・。








・・・そう言えば、"ナナちゃん”と言う名前の飼っていた雄猫ちゃんの姿がありませんでした…。




ナナちゃんは、渋谷のセンター街のある居酒屋さんのゴミ捨て場に捨てられていた仔猫ちゃんでした。


”セレナーデ”を始めた頃、母が拾って来たんです。




お家で飼っていたのに・・・。




いつも、marieが玄関のドアを開けると、真っ先に走って来てくれて、尻尾を振って迎えてくれていたのに・・・。




”何処に行ったのか・・・”




marieは、自分の部屋の窓を開けて、外を見てみました。

(上野毛のマンションのmarieの部屋は、1階だったんです)






そこには、拾って来て家で飼っていた頃の面影が全く無くなってしまっている・・・



野生化してしまった・・・






鋭い目付きの・・・ナナちゃんが、いました・・・。

ナナちゃんもまた、母に、外に閉め出されてしまったのだそうです・・・。





”酷い・・・。自分が拾って来たネコちゃんなのに・・・”








「ナナちゃん!!!」






・・・と、私が呼ぶと、ナナちゃんは、ものすごくキツい眼差しで、marieを睨みつけました。







そのナナちゃんの目は、








「今まで何処に行っていたの・・・!







僕を、放ったらかしにして・・・・・」









・・・と、、、






そう、明らかにmarieに訴えかけているかのようでした・・・。





弟を寝かしてから、ドロドロになったナナちゃんを部屋にいれて、抱き締めながら泣き崩れていた私の肩に、

当時、まだ生きていた父が、



「かなふ・・・すまん・・・」







・・・と、そっと・・・手を、置いてくれました・・・。



その父もまた、アルコール中毒に陥っていて、トイレにも行けない状態だったのです。






地獄のようでした。










今から思えば、その時に東京都や世田谷区の福祉関係の人に助けを求めるとか、どなたか中に入って頂いて、母を説得してもらうとか、、


色々と手だてはあったのだろうと思いますが、当時はそんなことを考える余裕も無く、


また、奈良の、借金の抵当に入った家から夜逃げ同然にして東京に出て来た私以外の家族3人の住民票も移していなかったので、


どこにどう・・助けを求めていいのかも分らず、


また、身内の母の失態を、人にも打ち明けられず、




その状況の中で、私は暮らして行く事を選ぶしかありませんでした。








ちょっと、暗いので(すみません…)話題を変えましょう(笑)




まぁ・・・そんな家の状況だったので、そういう環境が、私を、どんどんと最低の女性に変えて行ったのです。(環境のせいにしている?)(^^;;;




きっとパリでS田さんという恋人ができたのも、パリではそういう家族の心配をする事なく自由に暮らす事が出来たからなんでしょうね(笑)




もう、日本に帰って来た途端、とてもとても、そんな余裕(普通の女の子が、恋愛をするような)は、無くなってしまいました。



予告編で書いたエルメスのスカーフの一件もmarieの当時の最低さを象徴しているものなのですが、もっと酷いことは、


ある日、てらちゃんがmarieのために、別の所にマンションを借りてくれたのです。



当時でお家賃が10万円ちょっと…、(それも、毎月てらちゃんが出してくれるというのです。) 新築の、大きなバルコニーが付いている白いお洒落なマンションでした。


てらちゃんは、marieのために、“良かれ”と思って、そこを契約してくれたのです。

「かなちゃん、ここならピアノが置けるし、バルコニーでバーベキューだって出来る。ナナちゃんともここで住める。

な?いいだろ?


ここに住みなよ。」



てらちゃんがしてくれた事は、本当に有り難かったけれど、私は、どうしてもそれを受け入れられませんでした。


本当は、嬉しかったのです。


でも、てらちゃんが契約した不動産屋さんの前で、




「いやよ!


だって、ここ、○○区じゃない!


”あなたはどこに住んでいるんですか?”って聞かれて、”○○区です”って、私が答えられると思っているの?

それに電車は○○線沿線だし!


そんな事恥ずかしくって、人に言えないわ!」



って…、(苦笑)言って、「断って!」と、契約を破棄してもらったのです。




「ひでぇ女・・・」




その時の不動産屋さんの営業の方がそう、呟いたのが背中で聞こえていました…。





そんな中、S田さんが、よせばいいのに…私の後を追って、パリの職場を辞めて日本に帰国して来てしまったのです。

あぁ…。何と言う事でしょう…。



もう、その頃は、パリでいたmarieでは、ありませんでした。

ナナちゃんと同じように、野生化してしまったのです。



日本でS田さんとお付き合いをしていくわけには、いきませんでした…。

てらちゃんにも、申し訳なかったし・・・。






S田さんには、本当に申し訳なかったけれど・・・、marieもmarieなりに、本当は、こんな家庭環境の自分を、(お嫁さんに)もらってもらうわけに、いかない・・・。

自分は、幸せになんて、なれない・・・。



---そう、思っていたから、てらちゃんに対しても、S田さんに対しても、わざと、冷たく最低の振りをしてあしらってしまったんです・・・。


てらちゃんには、”甘え”もあったのでしょうが・・・。




S田さんに、

「もう、パリにいた時のような状態には、戻れないの・・・。ごめんなさい・・・。」

と言って、お別れをしたその翌日、





上野毛の私のマンションの玄関のドアの取っ手に、紙袋が吊るされていました。





その中には・・・









赤ワインと、トマトと、おにぎりと、プリンが・・・入っていました。


(パリでmarieが貧血で倒れる度に、S田さんが届けてくれたのと、同じものです…。

S田さんからの、marieへの最後の贈り物・・・でした・・・。)










---最後まで続けて書こうと思いましたが、長くなったので一旦ここで切って新しいポストで書きますね。

ごめんなさい、、。


ここまで読んで下さって、本当にありがとうございます・・・。

(続けて新しいポストを書いています。またどうか来て下さいネ…)




感謝を込めて
kanafu MARIE
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by kanamarie | 2007-04-10 18:05 | 花束のひと | Trackback | Comments(4)


みなさま

こんばんは!
今日もここに来て下さって、本当にありがとうございます。



今日は、乙女の闘い?春の”桜花賞”が行われましたネ。


女の子の馬の闘いって、見ていて本当に可愛い(涙)ですよね…。

パドックから、本馬場入場まで…


”え?ワタシ、走るの!?”

”どうしてこんなにたくさんの人がいるの!?”

”いや〜ん、恥ずかしい〜〜”


なんて、思っているお馬ちゃんの声が聞こえて来そうで、(笑)


本当に可愛くて・・・胸がキュン…としてしまいました。




勝った馬は、母も姉も果たすことが出来なかった偉業を、やっと成し遂げました…。(涙)
(馬券はハズしましたが・・・。^^;;
来週、またここからもリンクしている岩戸厩舎の所属馬たちに、取り戻してもらおうと(切実に)思っています・・・^^)




競馬にも、何代にも渡るロマンがあります。




次は、”オークス”。





負けた馬にだって、チャンスはいっぱいあるんですよね!!

(今日は眠れないくらい悔しい夜を過ごしても、その分強くなって・・・ピンチはチャンス!ですよね!!

勝つ時に、オッズが上がっているのも、その馬を支持し続けた人達への、神様からの粋なプレゼントかも?知れませんよね^^)






『花束のひと』


続きを書きます。^^ 

こんなmarieの物語(もちろんノンフィクション)ですが、読んで下さる方がいて…本当に嬉しく幸いに思います…。




ありがとうございます・・・。(感謝…)




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大森社長と逢って話した事を、marieはS田さんに報告しました。

S田さんも、

「そうだな…。一度、日本に帰った方が、いいよ・・・。」


…と言ってくれました。すごく辛そうな顔をしながら…。



「でも、あなたは、音楽をやりにパリに来たんでしょ…。


パリでは、余り歌う機会がなかったけれど、思い切って帰国するまでにニューヨークに行って、ジャズを歌って来たら?


日本からだと遠いけど、ここからだと、5、6時間で行けるし…。



費用は僕が持つからさ…。」



S田さんはそう言ってくれました。



「そんなこと、出来ない。そんなこと、いいの!!」



と言う私に、S田さんは、



「僕はね、あなたに感謝しているんだ…。僕は、パリに出て来てから、ずっと働き詰めで、働く事しかやる事がなかったんだ…。

人よりはちょっと多めの給料をもらっても、その使い道も知らないし、

日本人の友人が出来たら、仕事が終わった後はそいつらと麻雀をしたり…


パリにいるんだか、日本にいるんだか、分らないような生活だったよ…。あなたと会うまでは…。



だけど、あなたはね、



パリが好きで、死ぬような思いをしてここまで来て、夢を叶えようとしている…。



お金のこととか、お母さんの事とか、体のこととか、弟さんの事とか、いっぱい問題があるのに。




それでも働きながら、歌っているだろ?




こんなパリで、、、この街のどこがそんなに魅力があるんだい?って、最初は思ったよ。




この娘(こ)は、全然現実を知らないんだな…って、正直言って、笑っていたんだよ。






でもね、あなたを見ていると、僕は、パリという街がこんなに何て言うか…美しい街で・・・



そして、こんなにも楽しいところなんだってことが…やっと分かって来たんだ…。


あなたはいつも休日になると、一生懸命お洒落して、

モンマルトルやサンジェルマンデプレのカフェに行ったり、道端で歌ったり、にこにこしていたろ…?

その内僕も、同じように少しは良い格好して、今まで行った事のない店にあなたを連れて行ったりすることで、

今まで知らなかった世界が開けて来たんだよ。


背伸びしても自分を少しでも良く見せようって・・・頑張る事がね、自分でも楽しくなって来たんだよ・・・。

今まで絶対に入れてもらえなかった一流の店にもちゃんと客として受け入れてもらえるようになって…、

そして段々とそこのギャルソンやウエイターやソムリエ達とも対等に話してもらえるようになったし・・・。

でもよく考えたら、絶対に入れてもらえないと思う前に、自分が行こうとしていなかっただけなんだよな。

こっちの人間は、身なりや外見でまず人を判断するから、

その店に認めてもらうために、いい服を着て、いいネクタイを締めて…って、何となく

意欲がさ・・・、湧かなかったんだよ・・・。


だけどやっぱり、頑張った分、ちゃんと認めてもらえるんだよな・・・。

今は本当に、毎日が楽しいよ…。仕事にもやりがいを感じるし、休日は楽しみだし。



あなたは…僕の生活を、変えてくれたんだよ…。本当に、感謝しているよ・・・。




だからさ・・・。





行って来てほしいんだ。





パリで出来なかった事を、やって来てほしいんだ。ニューヨークで。






あなたの歌を、聴いたことがある者として、言っているんだよ?


あの歌を聴いたからこそ、行って、歌って来てほしいんだ…!」






S田さんは、静かにそう言ってくれました・・・。



それで、以前ここでも書いたように、marieはリュックサック1つで、パリからNYに渡り、

『イパネマの娘』を、歌って来る事が出来たのです。


(*パリからNYまで、当時格安航空券で5万円くらいでした。往路はエジプト・エアーで、復路はコンチネンタル。今でも良い思い出です…)



NYでは、短い滞在の間に、色んな事がありました…。

貴重な経験をS田さんや大森社長のおかげでさせて頂く事が出来て、今でも本当に感謝しています。





---この後、一度パリに戻ってから日本に帰国した時の状況が、少し悲惨なものなので、ここで思い切りいい思い出を書いていいでしょうか…?^^(スミマセン…)---






いよいよ日本に帰国する、その前日、


S田さんは、



「二人の思い出を、作りに行こう…!」




と、いつものように静かにmarieを誘ってくれました。





そして、私たちは、凱旋門に行き、



その真下で、初めてのキスをしたのです・・・。





凱旋門の下のその広場から、放射線状に広がるパリの道・・・


その広場の周りをグルグルと回る車から、贅沢なくらいに、たくさんのたくさんの、クラクションの祝福を受けながら・・・。













---次はいよいよ帰国して、最終話になります・・・。

長い間、お付き合い下さって、本当にありがとうございました。





少し書き辛い部分もあるのですが、今はみなさまのおかげで、幸せなmarieですし・・・

包み隠さず、そのまま書こうと思います…。


どうぞ、読んでみて下さいネ・・・。




今夜もここに来て下さって本当にありがとうございました…。




心からの感謝を込めて

kanafu MARIE




この歌は、marieの原点です。
♪ジュリエット・グレコ『パリの空の下、セーヌは流れる』
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by kanamarie | 2007-04-08 22:06 | 花束のひと | Trackback | Comments(5)

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パリで、S田さんという恋人が出来た事を、marieは I 川さんに伝えました。

I川さんも結婚しているわけだし、これでやっと、色んな事が落ち着くかな…と。
どっち付かずな状態で、自分の居場所や位置が、分らないまま時が過ぎて行くのも、苦痛だったし、、。

I川さんの奥様の事を考えたら、やっぱり(お付き合いをしているわけではなかったけれど)申し訳なく思ったし…。


”S田さんという、恋人ができました。だから私の事はもう心配しないで下さい。I川さん、さようなら”


…と、伝えたと思います。
電話と、手紙で。



1週間後、そのmarieの元に、1通のエアメールが届きました。

I川さんからでした。


3枚の便箋に、ぎっしりと書かれていました。




”かなちゃん

僕は誰よりもかなちゃんを愛して来たつもりだ。そして僕は一生かなちゃんを愛し続けるつもりだった。
僕たちは愛し、笑い、そして一緒に泣いた。

(略)

そんな僕たちの愛は、壊れる事がないと思っていた。
どれだけ離れていようとも。


だけどかなちゃんは、

パリに旅立って、たった数ヶ月のうちに、

気が変わってしまったんだ。


僕は嫌がる奥さんに無理矢理子供を産んでもらうより、

かなちゃんに僕の子供を産んでほしかった。


僕は、生まれて来るはずだった僕たちの子供の名前まで決めていた。


僕とかなちゃんの子供なら、きっと女の子だろう。



世界一美しい都市、パリに住む僕の恋人、



その恋人との間に生まれて来た僕たちの娘の名前、







それは、











巴里奈(パリナ)ちゃん。















でもかなちゃんは、もう僕の元から去って行ってしまったんだ。


たった数ヶ月のうちに、気が変わってしまったんだ。






僕はもう、巴里奈ちゃんとも、逢えなくなってしまった。







さようなら、かなちゃん。




さようなら、僕たちの娘、巴里奈ちゃん・・・













------と、言う内容のエアメールでした・・・。






それは、ものすごく強い、I川さんの私に対する恨みつらみ?が込められたエアメールでした。





marieはそれを読んで、泣けて来ました。



自分が、如何にダメな女性であるか・・・と、情けなくなって・・・。



こんなにいい人を、裏切ってしまった、、という気持ちだったのです。





(でも後で考えると、この巴里奈ちゃんて、ちょっと面白いですよね・・・^^;;;
今だからちょっと笑えるけれど、でもこの時は、I川さんの真剣さに?そういうことも、感じられませんでした…。
だけど、I川さん、本気でそんな名前、考えていたのでしょうか・・・^^?)




marieは、S田さんにそのI川さんからのエアメールの事を話しました。
私は、途方に暮れていました。

S田さんも、終始黙っていました…。


バイト先の休憩時間の昼下がり…二人で公園のベンチで、そのエアメールを持って、
ずっと、ずっと、

二人とも黙ったまま…


ただ、風に吹かれて、ぼーっとしていました・・・。

隣のベンチに座っていた二人の老人が、心配そうに…私とS田さんを見ていました。





途方に暮れる原因はI川さんの事もあったのですが、marieの母の事もありました。



パリに来て、もう何ヶ月経っても一向に約束してくれた送金はありませんでした。

お店は、毎日お客様で賑わっていて順調だ、、とは知人から教えてもらっていましたが…。


それで、母に電話をしたら、


「送ったわよ、送ったわ。」


と、言ってもらえたので、安心して、いつその送金が届くか待ちわびる毎日。



でもやっぱり届かないので、また電話をすると、今度は、


「もしもし、ママ?」


というmarieの声を聞くや否や、受話器を切るのです・・・。



パリで、時々倒れたりしながらも何とかバイトやS田さんに助けてもらって、生活していましたが、

肝心の音楽の勉強が出来ず、何のためにパリに来たのか分らなくなってしまっていました。


電話をかけて、私の声だと分ると、受話器を切るその前に


「あら、いらっしゃいませ〜」


という母の声を聞いたりすると・・・本当に辛くって、



あんなに母のために働いて来たのに・・・パリに来て、こんな異国の地で、放ったらかしにされるなんて・・・


・・・と思うと、、



虚しくて、悲しくて、




本当に、どうしてこんな思いをしなければいけないのか、どうしてそんなことになるのか、わけが分からなくなりました・・・。




そして、日本にいて東京に家族を呼んでからもそう言う状態はずっと続いているのに、

それでもなお、母を信用したい、と思っている自分が、惨めでなりませんでした・・・。






そんな私の状況を知って、ある日、名古屋の芸能プロダクションの社長、大森さんという方がお仕事でヨーロッパに出張して来られた際、私を訪ねて下さったのです。


marieはバイトの休憩時間に、その大森社長に会いに行きました。

パリのオペラ座を正面から見ると、左側にグランドホテル(オテル・ルグラン・インターコンチネンタル・ド・パリ)という由緒あるホテルがあります。(映画『愛と哀しみのボレロ』『目撃者』でも使われていたところです。)


そのホテルの1階にあるのが、数多くの著名人が愛した有名な「カフェ・ド・ラペ」です。

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大森社長はここで待って下さっていました。
(丁度この写真で、二人の人が歩いているそのガラス越しの通りに面したテーブルでした。)

(marieのバイト先は、Rue.St.Anne(サンタン通り)のオペラ座のすぐ近くだったんです。
住んでいたアパルトマンも、オペラ座まで徒歩で5分もかからないところでした。)


大森社長は、その当時建設予定だったパルケ・エスパーニャのプロジェクトで、ヨーロッパに来られていたのです。


marieは大森社長とは、名古屋でのライヴや、アナウンサー時代に中京競馬場に仕事に行った時など、そのついでにピアノの弾き語りのお仕事を頂いたりして、お世話になった間柄なのです。



予想外の、パリでのキツい状態、母の裏切り、いつまで経っても歌えない、自分の進みたい道に一歩を踏み出せないmarieに、大森社長はこんな事を言われました。




「僕はね、病気がちな母に、海が見える温泉(お風呂)の付いた家を建ててあげる事が昔からの夢だったんだ。今、僕がやっている仕事は、全部そのためだと言っていいくらいだよ。

だけどね、僕には弟がいるんだが、母の愛はいつも僕にではなくて、その弟の方に注がれているんだよ。

昔からそうだった。

今も、そうなんだ…。

僕が、母のために、何を、一生懸命やろうとも、


母にとっては、何もしない弟の方が、可愛くて仕方がないみたいなんだ・・・。」



大森社長は、静かに、そんなことを語られました。


marieはこの華やかなパリの、この華やかなカフェで、大森社長からこんなに淋しく辛いお話を伺っている・・・そのアンバランスさに、言葉を失っていました。
その時にmarieが着ていた服は、バイト先の地味な(センスの欠片もない)制服でしたし…。


隣のテーブルでは、


アメリカから来た観光客のグループが皆でシャンパンをギャルソンに得意気に頼み、『ハッピーバースデー』を合唱して誰かの誕生日を祝っていました・・・。




ぽつり、ぽつり、、、と、雨が降って来ました・・・。



大森社長は、こう続けられました。




「だけど、それでいいじゃないか。



それで、母が幸せなら。


僕はそれでいい。


母が死ぬ前に、自分の家の中の海が見える温泉に浸かって、


”あぁ・・・気持ちがいい…”と言ってくれれば、、、




僕はそれでいいんだよ!!!




な、それでいいじゃないか!!!











日本に帰って来なさい!



そして、名古屋においで!!!




もう一回、最初からやり直してみるんだ、君の人生を!!!

















marieは、頷きました…。


大森社長は、お財布から5万円を出して下さり、


「これで帰りの切符を買いなさい。これでは足らないから、また後で僕が送るから」


と言って下さいましたが、私は


「今月のバイト代で、何とか帰りの切符は買えます。」(本当はそうじゃなかったけれど)

と言って、それをお返ししました。

だけど、大森社長は、その5万円を、私の手に、握らせて、






「何か、食べなさい・・・」







・・・・・そう仰って、、、私の肩に手を置かれました。









marieは、その時初めて、







声を上げて、泣いてしまいました・・・。












------その時、私の大きな叫ぶような泣き声が聞こえないくらいの大雨の粒が、




オペラ座の反対側、




スクリブ通りのアスファルトに、打ち付けていました・・・。












強く、強く、突き刺すように・・・・・・。
















---この続きは今晩戻ってからまた書きますね…。
また来て下さいネ。


こんなに長い文を読んで下さって…疲れたでしょう…?

本当にありがとうございます…。

最後にこの曲を聴いて、おくつろぎ下さい。


これ、marieの、”とっておき”の、--宝石--のような…レパートリーの一曲、です、、。(涙)





今日も来て下さって、本当にありがとうございます…。


心からの感謝と共に

marie
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by kanamarie | 2007-04-06 21:54 | 花束のひと | Trackback | Comments(18)


みなさま

こんにちは!
今日もここに来て下さって、本当にありがとうございます。


今日はこれからスタジオ入りなのですが、↓のポストの写真の方から


「早く『花束のひと』の続きを書かないと。みなさん待って下さっているんですから。僕もそうですよ。」


と、お説教?されましたので・・・

少し、次のあらすじと見所(あるのか!?)をご紹介しておきますね^^;;;




d0031078_13541486.gif



パリでS田さんという恋人が出来た事を、marieは I 川さんに伝えます。

それを受けて、ある日、I 川さんから一通のエアメールがパリにいるmarieのもとに届きました。
(深刻なメールですが、今から読むとちょっと笑えるメールです^^?)


それを読んで、marieは日本に帰国することになります。(それだけではないのですが)


ところが、そんなmarieを追いかけて、S田さんもパリの職場を辞めて日本に帰って来ることになり(なってしまい)ました。


marieは、S田さんという恋人がいることを、ついにてらちゃんに話さなくてはいけなくなりました。


それを知ったてらちゃんは、渋谷の道玄坂で、marieのほっぺたを引っ叩きます。

往復で。10回以上。

てらちゃんは、狂ってしまったようでした・・・。




次の日、てらちゃんは泣きながら上野毛の(私の)家に謝りに来ました。


でも、悪いのはmarieの方なので、私は黙ったまま、何も言えませんでした。


終始黙っていましたが、


てらちゃんが”お詫びに”と、marieに買って来てくれたエルメスのスカーフを渡してくれた時に、






「こんなに高価なものを買って・・・もったいない・・・。

私、スカーフなんてしないのに・・・。





こんなのを買うんなら、その分キャッシュでくれればいいのに・・・







・・・と、私が言ってしまった、というところまで書きますね。

(でもこれ、本当はわざとそんな風に言ったんですよ・・・)(泣)




段々と、実は最低のオンナ?だったmarieの実態が(!?)明らかになって?いきます(^^;;;




その最低さに、ご期待下さい!...?

それでは『Solution』のインストを録音して来ますね!





今日も読んで下さって本当にありがとうございます。



心からの感謝と共に
kanafu MARIE







**--下のポストにコメント下さった方々…読んで下さったみなさまに、marsさん共々、心から、感謝いたします・・・。--**
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by kanamarie | 2007-04-05 13:46 | 花束のひと | Trackback | Comments(2)


みなさま

今日もここに来て下さって本当にありがとうございます…!



あぁ…。


なかなか……


なkana?です…(泣)




ま、仕方無いでしょう^^;;;?(謎)






ブログは先に進みましょう〜♪
読んで下さいネ!



本当にありがとうございます…。



d0031078_5511581.gif





パリでは、学生アルバイトをしながらアリアンス・フランセーズに通い、シャンソンやジャズを学ぶ…はずの毎日でしたが、


体が弱く、日本での主治医に無理矢理許可してもらったような渡仏でしたから、パリでも働くのに精一杯で…、

しょっちゅう、倒れてしまい、


体調的には、大変危険な状態が続きました。


母からは結局、私がパリにいる間、一円のお金も送ってもらえず、約束は果たしてもらえませんでした。


だからバイトをしないと、暮らして行けなかったんです。



でも、日本にいる時のように家族のために毎月何十万ものお金をもう作らなくてもいいわけで、
私は、自分一人の事さえ考えていれば良かったので、

それまでの事を思うと天国だったし、充分楽でした…。

気持ちの中で、寂しいものはいっぱいいっぱい…ありましたが…。




そんな私に、


パリで、遂に恋人が出来てしまったんです。





“しまった”と言うのは…

その時の私の罪悪感でした。



I川さんに対してではなく、それは、てらちゃんに対してでした…。
(そういう面では、かろうじて?正常??だったのかも知れませんね・・・^^;;;?)






marieのパリの恋人は、S田さんという日本人です。

彼は、marieのバイト先の先輩で、日本人なのにフランスのセジュールや労働許可証を持っているくらい、
フランス語が堪能で
ソムリエの資格もある、真面目な日本の男性です。
本当に毎日、仕事ばかりしているような人でした。

バイト先でしょっちゅう倒れるmarieに、最初はめちゃくちゃ冷たく、厳しい人でしたが、


ある日、貧血で倒れて寝込んでいる私に、赤ワインと、トマトと、おにぎりと、プリンを届けて下さったのです。




---パリの人は、

風邪を引いて熱を出したり寝込んだりすると、キャッフェに行ってそこの手作りのプリン(フランス語では”クレーム・キャラメル”)を買って来たりするんです。

プリンは、卵とミルクで作るでしょう?
だから、栄養が満点なんですよね。^^


でも、お家で作るのは大変だし、時間もかかるから…

それで地元の人は、近所の美味しいキャッフェに行ってそれを買って来るというわけなんですネ。




S田さんもmarieのために、
キャッフェに行って、今まで一度も買い求めた事がない”クレーム・キャラメル”を買い、

自分のアパルトマンで、お湯を入れてふやかすと出来上がるご飯におにぎりの素を混ぜて、おむすびを握ってくれて…




赤血球の数値が低く、いつも倒れるmarieに、赤い血が蘇るように、



”赤ワインと、赤いトマト”を買って、

持って来て下さったのです・・・・・(涙)



私が貧血で倒れる度に、いつも、いつも、それを持って来て下さったのです…。



それで、いつの間にか…。







S田さんは、てらちゃんや I川さんという存在がいる事を十分承知の上で、私の側にいて下さったような・・・


なんだかそんな感じでした…。

きっと、ぎこちなかったと思います…。








日本で言う、兜町、のような場所(証券取引所)がパリにもあるのですが、その近くに
"Savoy"(サヴォイ)という名の、結構有名なライヴハウスがあるんです。


marieのパリでの本格的なライヴ活動は、そこから始まることになります。





最初のステージで歌った歌は、『Georgia On My Mind』でした。





この曲は、その当時のmarieの18番です。(苦笑、本当に苦笑…、、。)


その当時は、私は、”自分はこの歌を上手く歌えている”…と思っていたんです。

若さ故、というヤツですね…^^;;;


marieはこの歌を独特の歌唱法で歌います。


それは、大阪の千日前のある場所で、知る人ぞ知るあるジャズマンから昔教わったシャウト歌唱法なんです…。


その人には、ジャズやソウルの一拍の音符の中には、3連符(ルルタ、ルルタ、の”タ”にアクセント)が隠されている事も教わりました。基本的な事なのですが。

(スティーヴィーの歌を例にとってみると、分り易いです。)



そこで仕込まれた?marieの『Georgia On My Mind』は、

日本では、結構何処で歌ってもそれなりには?評価??されてはいたのです…。
(その当時は、ですよ^^;;)



ですから、パリでも絶対に大丈夫だと思っていたんです。



パリを甘く見ていたんですね…。(パリだけではないのでしょうが…)





以前このブログでも少し書いたように、その時、


私が歌い出すと同時に、会場にいた大勢の人がゾロゾロと…お店を出てしまったんです・・・。






ものすごく、ショックでした…。






歌いながら、


”え? え? どうしてなの…?”


と思いながらも…





途中で止めるわけにもいかず、何とか最後まで歌い切った時には、





たった、7人の観客しか…そこには残っていなかったんです・・・。







残って下さった7人の方から、精一杯の拍手を頂いて…




お辞儀をして、ステージを離れようとしたその時、





S田さんが、どこで買って来てくれたのか…





marieに赤いバラの花を一本…渡してくれて、そして、こう言ってくれたんです…。







「感動したよ……。


最後まで良く歌ったな・・・」











・・・(涙)







そして、最後まで聴いてくれた一人の女の子が私にこんな事も言ってくれたんです…。

彼女もまた、ジャズシンガーの卵です。






「あなた、大物になれるわよ!


でも、


サルヴァトーレ・アダモは初舞台でトマトを顔に投げ付けられて、


マレーネ・ディートリッヒはパリでは唾を吐きかけられたのよ!



それを考えたら、まだまだかもね!(笑)」







この、パリでの初ライヴのときのS田さんと彼女の言葉、






苦い経験の中の、ちょっと甘くてしょっぱい思い出です…。

NYの初ライヴとは本当に対照的な、これもmarieにとっては、財産の一部ですね・・・。






S田さんは、marieが日本でデビューする時には、必ずライヴに駆け付けて、その時のように赤い薔薇の花を一本ステージで歌う私に渡して下さると約束してくれました。




今年、marieのファースト・コンサートに赤いバラの花を一本持って来て下さっている

背の高い、仲村トオルさんにそっくりの人がいたなら、




・・・それはもしかしたら…marieのパリの恋人S田さんかも?知れません(笑)







今日は情緒不安定なため、ちょっととりとめのない文章になってしまいました。ごめんなさい…。



読んで下さってありがとうございます!





S田さんという恋人が出来た事を、marieは I川さんに伝えました。

次は、そこから書きますネ。

また読んで下さい〜♪



感謝と共に

marie
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by kanamarie | 2007-03-24 05:33 | 花束のひと | Trackback | Comments(4)


みなさま

こんばんは!!
今夜もここに来て下さって本当にありがとうございます!


今夜は『花束のひと(12)--1本の赤い薔薇のひと(marieのパリの恋人)--』を書きますネ^^

今日は初めてここに来て下さった方が多いみたいなので、こちらに今までの分をリンクしました。
良かったら、読んでみて下さい♪



花束のひと(1)花束のひととの出逢い
花束のひと(2)不揃いの真実…?
花束のひと (3)謎の女”ほへと”
花束のひと(4)笑える想い出のひとコマ♪
花束のひと (5)花束の人と(一杯の)かけ蕎麦の人
花束のひと(6)ものすごい神様との出逢い
花束のひと(7)セレナーデ…♪
花束のひと(8)ゴールデンルールよりも大切なもの
花束のひと(9)ゴールデンルールよりも大切なものの続き
花束のひと(10)ママ、ありがとう・・・。
花束のひと(11)--ほへと、パリに行く--

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歌の方も、頑張っています。
ご期待下さい!


またすぐに来て下さいネ^^

感謝を込めて
marie
(sausalitoを聴きながら♪)





*P.S
山崎さん、guttciさん、ありがとうございます!!!
guttciさん、近い内スタジオの後に寄りますね〜(多分…)^^;Blue Note Osakaありがとーーっ♡



(今日は大相撲春場所で大阪にいらしていた、このブログにも登場して頂いた元テレビ朝日アナウンス部部長の山崎正さんからご連絡を頂きました♪

生きておられて(爆)良かったです^^;;; 懐かしいお声を聞く事が出来、安心しました。(笑)
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by kanamarie | 2007-03-23 23:12 | 花束のひと | Trackback | Comments(0)



みなさま

来て下さってありがとうございます。



さて、marieの家族とその頃の状況を書いていて少し前のことになりましたが、


---てらちゃんが I 川さんのもとに私の事で直談判に行って、そこで土下座をして

「かなちゃんから、離れて下さい!」


と言ってくれた・・・---


というところまで書きましたが、


今回はその続きです。



てらちゃんは、その時I川さんから聞いた言葉を、最後の最後まで(私と I 川さんが完全に別れるまで)決して私に言おうとしませんでした。


でも、てらちゃんはそれから、断固として私がI川さんと会う事に反対し続けたのです。


ある日、もうI川さんと会うな!としつこくついて来るので、


「もう!彼でもないのに、いちいち指図しないでよ!私は誰とも付き合わないし、てらちゃんと結婚するつもりもないんだから!」


と言うと、



てらちゃんは、北風がびゅんびゅん吹いていた寒空の下、自分が着ていたコートをいきなり脱いで、
それを

環八(環状8号線)沿いにある上野毛の駅の前の橋の上に叩き付けて、こう言ったんです・・・


(…脱ぎ捨てられたコートの周りに砂埃が舞っていました…。)





「おれは、自分の事なんか考えちゃいないさ!そんな事分っているよ!!


おれは、お前が心配なんだよ!見てられないんだよ!!お前がもうこれ以上傷つくのを見たくないんだよ!!!」




…と言って、男泣きしていたことがありました…。





私は、それを見て何も言えなくなりましたが…、その時も、どうしてそんなにてらちゃんが  I川さんのことを反対するのか…全然分からなかったのです…。





I川さんは、(てらちゃんには当然の事ながら)marieを取り巻く殆ど全ての人から否定されていました。

既婚者なんですから、当然の事なのかも知れませんね…。

皆、私を心配してくれていたのでしょう。



(うちで飼っていた”ななちゃん”という名前の雄猫でさえ、I川さんが家に尋ねてくるといきなり威嚇して飛びつき、I川さんを引っ掻くくらいだったのです・・・。^^;;;?)





そんな風にみんなに嫌われながらも、いつも

”かなちゃん、愛しているよ。かなちゃん、好きだよ”


と、やつれた顔をしながら言ってくれる? I川さんのことを、私はいつの間にか好きに?なってしまっていたの”かも?”知れません…。




marieは(前にも書きましたように)名古屋でのライヴが認められて、パリに行けることになりました。



私が家から出れば、母も家に戻って来て、渋谷のお店をやりながら父や弟と前のように仲良く暮らしてくれるかも…という希望もありました。


U社長にも中に入って頂いて、母はそれを約束してくれましたし、私がパリで暮らせるように毎月母が仕送りもしてくれると約束してくれました。




その頃、表参道の青山学院大学の裏に、「うんこ屋」というスゴい名前の^^;;;お店があったんです。


そこは、I川さんの親友のプロデューサー、秋○康さんがプロデュースしていたお店で、経営していたのもまた、I川さんや秋○さんの学友である加藤さんという方です。


加藤さんは東京にある土佐料理の老舗で修行を積んだ、とても腕のある板前さんでした。


お店の名前とはうらはらに、落ち着いていて品のいいお店で、今日子ちゃん(キョンキョン)など、芸能人の方も良く通われたのだそうです。


加藤さんの作る品々は、味も、センスも最高級のものでした。



そこはI川さんとよくデートした場所だったのですが、そのお店で、marieの送別会をしよう、とI川さんが企画して下さったんです。




”パリに旅立つかなちゃんを応援しよう!”


そんな案内状を印刷してくれて…。



I川さんもてらちゃんも、その時は一緒にそのパーティーを盛り上げるために、力を合わせて一生懸命やって下さっていました…。





でも、marieはなんだか冷めていて…



”そこまでしてくれなくてもいいのにな…”




なんて、思っていたんです…。






もう…本当に、最低の女性になっていましたね…。(泣)







約50人くらいの人が集まって下さいましたが、全然実感が湧かなかったんです…。

(生きている、という実感が、その頃の私には無かったんですね…。)






でも、そのパーティーの途中、私の味気ないスピーチの途中に、なんと!




赤坂でピアノの弾き語りをやっていた時代に、そのお店で一緒だったホステスさんが…大きなお花束を持って、駆け付けてくれたんです!!!




その時です…。私は初めて、大きな声を上げて泣いてしまいました・・・・・。

彼女と抱き合って…、立てなくなるくらいにおいおいと泣き崩れてしまったんです・・・。


まるで一瞬にして、感情を取り戻したかのように・・・。




号泣するmarieに、I川さんもてらちゃんも、会場にいた人達も、みんな本当に驚いて・・・





”かなちゃんがあそこ(あの場面)であんなに泣くなんて・・・。やっぱり僕たちには解からない…苦労をしてきたんだね・・・”





と、MCを務めてくれたI川さんが後で言っていました…。






そのパーティーのこと、今から考えてみれば、


私は、何か自分の人生の節目に、人並みにお祝いをしてもらった事って、余り無いんですね…。




結婚だって、結婚式を挙げて誰かに祝ってもらったわけではないし、婚約も結納もしていないし、
ウエディングドレスを着たわけでもないし…。





だから、そう言う意味では…その時、I川さんが企画して下さったパーティーが…、今までの私の人生の中で唯一の、沢山の人達が--私のために--集まって下さった--パーティー--だったことになるんですよね…。(涙…)





有り難い事だと…思い、最近になってつくづくと感謝するmarieです・・・。





翌日、成田空港にも、I川さんやてらちゃん、アナウンサー仲間、友人、 JRAピーアールセンターの南さんなど…約20人くらいの人が見送りに来て下さり、


中2階のお店でまた励ます会をして下さって…(涙)



marieは、パリに飛び立ちました。




これ、パリの私の部屋でオートで撮ったものなんです。パリのアパルトマンはこんな簡素な感じでした。(当時の写真をお花の上に乗せてそのままデジカメで撮ったものなので、写りが悪いですが…スミマセン…。)


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赤いスタンドの横にはちゃんとてらちゃんの写真を(なんだかんだ言っても)飾っているんです^^

marieが着ているグレーの服は(珍しいでしょ^^;;?) I川さんが日本から送ってくれたものなのですが、
パリではいつもこんな感じで、グレーや紺のお洋服を着て、自転車に乗っていたんですよ。^^




次のポストでは、パリでのライヴの模様を書きますね!


またどうか、読んで下さいネ^^



今日も来て下さって本当にありがとうございました!




心からの感謝を込めて



marie
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by kanamarie | 2007-03-23 02:05 | 花束のひと | Trackback | Comments(6)



みなさま

おはようございます。今日も変わらずここに来て下さって、本当にありがとうございます。


エキサイトブログのレポート機能がまたおかしいのか・・・?

これが現実なのか?良く分かりませんが、

昨日の訪問者数が激減、激減で、きゃーーーと言う感じ(どんな感じ?)です^^;;;;


来て下さった方の、ご期待に添えない記事を載せてしまい申し訳なかったです。

それは、反省したいと思います。



でも、最後まで書きますね^^


引き続き、来て下さった方に、心から感謝を申し上げます・・・。


では、『花束のひと』の続きを読んで下さいネ^^



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前の記事のままでは、 marieを産んで育ててくれた母に対して申し訳ないので、

少しここに、書かせて下さいね。


以前、このブログの記事の中で

marieが大学に合格して、その寮に入るために家を出る前の日に

父から、marieのルーツが実は、京都の祇園の芸者さんだった・・・ということを告げられたというのは書きました。

覚えて下さっている方もきっといらっしゃるだろうと思います。


その日、(家を出る前日)

その父の後で、母からも、marieは衝撃的なことを初めて教えてもらったのです。



母からの『告白』でした。





marieの体質がこんなに弱くなって・・・病気がちであることの原因が、実は







”栄養失調”であったこと・・・。







(ああ、訪問者数が減った後で良かったです^^)











・・・そう言えば、小学生の時、朝礼で頻繁に貧血を起こし倒れていたmarieですが、、、

倒れたmarieのベッドの脇で、父にすがって泣いていた母の姿を今も覚えているんです・・・。


「私達のせいよ!私のせいよ!!!」


と言って父の胸を叩きながら泣き叫んでいたのを覚えています・・・。


子供だったので、

何故、その頃よく倒れたのか、何故、その時母が父や自分を責めるように泣いていたのか・・・
分らなかったのです。




母は泣きながらそれを言い、
そして、こんなことも言っていました。



お金がなかったので
小麦粉を練って、お団子を作り、それにきな粉をまぶして私に良く食べさせたのだそうです。


そしたら、その時、marieは、


「わー!お餅だ!お餅ーー!!!」


と言って、喜んだ・・・と、、、




母は正座して、泣きながら、泣きながら・・・
教えてくれました・・・。

”かなちゃんは何も知らずにそれを、「お餅だー!」と喜んでくれて・・・”


と言った時に、




えんえんと泣いていました…。





どんなに辛かったことか…と思います・・・。


18歳という若さで、何も分らないままに結婚して、苦労をして…




本当に、良く、育ててくれたと感謝しています・・・。





いつも明るく前向きで、どんな時にも、何に対してもプラス思考の母でした。




人並みはずれて美しく、女優さんのようだったのに・・・苦労ばかりして・・・


きっと、




東京に出てからは、母でない”別人”になっていたのだと思います・・・。






母にも母の人生があるし、母は、marieにとっては母ですが、母だって、一人の女性であり、人間なんですよね・・・。






きっと、そう言う事なのだと思います・・・。






産んでくれて、一生懸命育ててもらったのですから、
その先に何があったとしても、



それでいいし、文句を言えた事ではないと思っています・・・。





母あっての、今のmarieなのですから。












「セレナーデ」


は、それから16、7年続きました。










お店を閉めた後、






母からmarieの娘に、誕生日のお祝いが届いたんです。









その時、娘に


「ありがとう・・・」と、言いなさい…と、電話をさせました。








その数日後、

母は、初めて







「かなちゃん、ごめんなさい・・・」






と、言ってくれたのです・・・。(涙)




























今日もここに来て下さって、本当にありがとうございました…。

感謝を込めて
marie









*ママ、ブログにありのままを書かせてくれてありがとう・・・。





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(セレナーデを始めた頃の)marieの母です。




綺麗でしょう?^^
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by kanamarie | 2007-03-20 04:04 | 花束のひと | Trackback | Comments(9)



みなさま

今夜もここに来て下さり、心から感謝いたします。


『花束のひと』の続きを書きますね。

よろしければ、読んでみて下さい。待っていて下さった方、本当にありがとうございます。



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渋谷の宇田川町にお店を出すことになり、家族4人が住める場所として、世田谷区の上野毛に4LDKのマンションを借りました。

家族はそこに、奈良の家から、

本当に身、一つならぬ身3つで、上京して来ました。

家具も、着替えも、本当に何も持たずに…。



それは別に良かったのですが、

渋谷にお店を持つことになって、母を交えて U社長とお話ししている時から、

ふとした母の受け答えや言動などに、


”…え?”


と、少し違和感を感じることがあったのです…。





以前、ここで、



私が東京に出て来て、色んな方々との出逢いが急激にあって、その度に成功に近づいて来たのは


私が”マーフィーの黄金律(ゴールデン・ルール)”という本に出逢い、それを実践していたからです、と言うような事をコメント欄で書いたことがありました。


潜在意識の力をフルに活用して、願望を実現する、というものです。



その本を知ったのは、実はmarieがまだ大学に在籍していた頃、

(marieは特別奨学生として奨学金の援助を受けていましたので、バイトなどをして大学在籍中から実家に仕送りをして来たのですが)

高校2年生や3年生の大学受験生を対象としたある会社の教材を販売する営業の仕事をしていた時のことです。


大学受験に合格するために必用なノウハウをテキストや通信添削、アフターケアなども含めて

30万から50万で販売する、というものでした。


高校生のいるお家に一軒一軒電話をしてアポイントを取り、そして説明に伺って気に入って頂けたら契約して頂く…そんなセールスのお仕事です。



人一倍、電話が苦手な私にとっては、アポイントを取るまでが本当に辛い作業でした。


電話をかけるなり、「うるさい!」とか「バカヤロー!」と…怒鳴られた事も何度もありました…。



その時、指導して下さった営業のベテランの上司が、



そのマーフィーの本の事を教えて下さったのです。




その方もマーフィーの教えを実践し、成功されたのだそうです。




簡単に言えば、その上司の方は


毎朝目覚めたら、鏡の前で



『おれは出来る!おれは成功する!おれは絶対にやれる!!!』


と鏡に映った自分の顔を見ながら唱えて、



そして、成功した自分をイメージして、心の中で喜びを感じ、既に完了させてしまう…。そうすると、いつの間にか本当にそうなるように導かれる…というものなのです。

(もう既にご存知の方が多いと思いますが…)




marieは、それを実践したのかしていなかったのかは、今は覚えてはいないのですが、

その頃はそう言った類いの本をよく読みました。



でも、本当に死ぬ程(と言ってもオーバーではないくらいに)動いた(働いた)んですよ。


夏の炎天下の下、熱中症の口内炎に悩まされながらも、西宮や尼崎の畑の中を歩いて歩いて…(キューピーコーワゴールドを飲みながら…今も覚えています… 苦笑)


アポイントが取れたご自宅まで訪ねて行き、


生徒さんとご両親と同席して頂いてご説明させて頂くのです。




自分も元受験生として、受験には失敗した経験が役立ったのでしょうか…


私自身も本当に真心からそのシステムを自信を持って販売出来ましたし、


高校生のお子さんとは、すぐに兄弟のように打ち解ける事が出来、ご両親の方にも信頼して頂けて





marieは、すぐにその会社の神戸支社でトップの成績を収め、アルバイトの身でありながら、役職にまで就く事が出来たんです。




ひと月に、当時50万くらいの収入があり、それを全部実家に送る事が出来ていました。



その仕事は、その会社自体がアフターケアを行わなかったり、そのことが元で東京の社員が自殺を図った…というニュースがあったりしたので、



僅か数ヶ月で私も辞めましたし、自分と契約を交わして下さった方々には、marie自身が責任を持ってアフターケアを行いました。申し訳なくて…。

みなさん”先生”とか”お姉さん”と慕って下さり、文化祭などにも呼んでくれたり、お家にもご招待して下さったり…


家族のように仲良くして下さって…、本当に有り難い事だと思います・・・(涙)





そんな風に、色んな仕事を経験して来たmarieですが、営業の仕事で、マーフィーの法則を知り、また、そのすごさも実感する事が出来たのだと思います。


それで、私もこの素晴らしい法則を母にも教えてあげたいと思い、



マーフィーの本を(当時、青いブックカバーでした)母に郵送したんです。





母は、それを読んで毎日実践したそうです。







それで、





”U社長のような素晴らしい方と出逢って、こんな幸運に恵まれたのは、ママがマーフィーの法則を一生懸命にやってきたからよ”




・・・・・と、言う風な事を時々口走るようになったんです・・・。





私は一瞬、耳を疑いましたが、最初はあまり悪意には受け取らないようにしていたのですが・・・




でも、根本的にそんな風に思っている母ですから、



U社長の特別なお計らいや、普通は簡単にはして頂けないようなご好意も




その度に感謝と共に”有り難い事”(と書く、この字のように)と受け止める私のすぐ横で



「はいはい。はいはい。U社長はな〜んでもしてくださるんです!だから大丈夫です〜!」



と、屈託なく U社長が出してくださるお店の契約金や内装費について業者と話す時にも、言ってしまう有様・・・。




そんな母の様子を業者の人から伝え聞いたU社長が気分を害され、母や私に対して不安を抱かれた事が何度もあり、


私はその都度、社長の元に足を運んで謝りに行き、お許しを請うような感じでした・・・。





悲しかったです・・・。






あんなに、”母を喜ばせよう・・・”と、その一心で働き続けた日々・・・




口には出さなくても、惨めな思いをした事も、悲しい思いをした事も、それはそれは、いっぱいありました・・・。





父だけは、そのことを分ってくれているようでした。





けれど、田舎から東京に…しかも渋谷という都会に…ある日突然出て来ることになり、いきなりお店のオーナーになった母には


まるで”棚からぼた餅”のような感覚であったのでしょう…。





”幸運が、天から降って来た…。

それは、自分がマーフィーの法則を毎日実践して手に入れたもの、自分が呼び寄せたものなのだ・・・。

いとも、いとも・・・簡単に・・・。”







母は、そんな気分でいたのです・・・。




そして、段々と様子が変わって行き、




母はもう、今までの母とは全然違う人格に変貌してしまうようになるのです・・・。





最初は、marieがそのお店「セレナーデ」(会員制にはしませんでした)のオーナーとして中心になって働き、母は慣れるまで私の補佐をするのがいいだろう…と社長も仰ったのですが…

その内に

「娘の下働きは嫌だ」と言い出すようになりました。




母は、本当に若くて美しい人でした。

marieは何度も書いていますが、父親似なので、母には本当に敵わないんです。
性格も、母はおっとりとしていて、私はどちらかというと気性が荒く、^^;;


お店でも、母が気に入って通う人も多くいらっしゃったのです。


いつの間にか母派、のお客様と、marieの関係者(お店が出来る前からの知り合いや友人の方)にお客様の層が別れて行ってしまったのです…。

だけど、私自身は、社長が望まれたように、”母子で仲良く切り盛りしているお店”であるように努力しましたし、いつも母を立てるようにしていたつもりなんです。

でも母はお店全体を自分の好きなようにやりたい、と思ったようで
何となく私に気を遣って、窮屈そうにしているのも分っていました。


ある日、母が


「かなちゃんには、本当に今まで苦労をかけて来たわ。これからはママがこのお店で頑張ってあなたに恩返しをする番だから、もうお店の心配はせずに、今まで行きたいと願っていたパリに音楽の勉強に行くといいわ。ママが毎月、送金してあげるから。」

と言ってくれたことがあったんです。



嬉しかったです・・・。(涙)

”やっぱり、分ってくれていたんだ・・・”


・・・と…。



それで、私はもうそのお店「セレナーデ」を母に任せることになりました。






でも、母はいつしか、私の関係者の方がお店に来られたら、入店を拒否するようにまでなって
しまったのです…。


marieにとっては、それは今まで一生懸命応援し、支え続けて来て下さった方々のご恩を仇で返すようなことです。



辛かったです…。

わけが、分りませんでした…。




そして、家には帰って来なくなり、

結局、病気の父と身体障害者の弟は、marieがケアをしなければならなくなりました。




「セレナーデ」は、連日満席で、お客様が沢山いらしてくださり繁盛していたようですが、
母は家にはお家賃しかお金を入れず、
戻っても来なかったので、






結局、marieもまた以前のように


働かなくてはいけなくなってしまったんです。






仕事に出る前には、父と弟の分のお昼と晩ご飯、2食分4つのお弁当を作ってから出掛けていました。



アナウンサーをやっていたのは丁度その頃です・・・。











やがて、父はその上野毛のマンションで、死を迎えることになります。












私が一生懸命やって来た事が、結局家族が崩壊するきっかけになってしまったんです・・・。
















…今日は少し暗いお話をしてしまいましたね・・・。


申し訳ありませんでした。










でもこの辺から、てらちゃんや、I川さんが登場する事になるんです。(笑)


あー、やっと到達しましたーーっ!!バンザーイ、バンザーイ!!^^/



次回からは明るく書きますね〜!!^^;;;










恋愛でも何でも、こんな風に一生懸命尽くして、そしてあげくの果てに捨てられるのが、自分の人生のパターンなのかな…と思ってしまっていたmarieですが、











そんな事、あるわけないんですよね〜^^


















多分。















今日もここに来てくださって、読んでくださった方、本当にありがとうございます…。
このポストは昨夜11時半くらいから書きながらその都度アップして来ましたが、
今の時間までずっと読み続けてくださった方が

約7名、いらっしゃいます…(涙)



どなたでしょうか・・・。




本当に、本当に、ありがとうございます・・・<(__)>(涙)




心からの感謝を込めて


marie



*それから・・・
先日の写真の方(横浜から大阪まで来てくださった方)は

この記事にも書きました、


marsさん♪


です。



*^^* (多分)
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by kanamarie | 2007-03-17 02:28 | 花束のひと | Trackback | Comments(8)