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∮ Performer,Singer & Songwriter,Kanafu Marie(カナフ マリエ)のブログです♪

by kanamarie

情熱は生き続けている♪George Duke Live at Blue Note Tokyo(3)

みなさま

こんにちは!今日もここに来て下さって本当にありがとうございます!

(そして、いつも応援のクリックを施して下さるみなさま、本当にありがとうございます!!)


ひとつ前のポストでは長くなってしまいましたが、リンク先やこのブログの過去記事にも目を通して下さった方に感謝の気持ちでいっぱいです。



さて、続きは、marieに関する事です…。


最高にノリにノリまくったライヴが終わり、ジョージ・デュークともお話が出来て、marsさんとホッとして、

普通なら、そのまま帰るところなのですが…、

まだ残っていた私のワインをブルー・ノートの方がカウンターのところに置いておいて下さっていたので、それを飲み干してから帰ろうと…(^^;

ワインを飲みながらmarsさんと「良かったね!」って、喜び合っていた時に、



ある一人の黒人の青年がmarieの方に駆け寄って来たのです。ものすごい勢いで!!



そして、何があったのかとキョトンとしているmarieに、こう言ったのです。



「キミ、リオン・ウェアと一緒に音楽をやっていた子だろ?!!」



marieはビックリして、


「え!?どうして知ってるの!?」


と、答えたら、



「僕だよ!ほら、ブルーノート大阪で、あの時にいた!!」



って!!!



marieはビックリして、思わず二人共感激で抱き合ってしまいました!!!




その青年は、Ronald Bruner Jr.!!


当日、デュークのバックでドラムスを叩いていた人です!
(marsさんに言われるまで気が付きませんでした^^;←大ボケです…。)



デュークは、彼の事をスタンリー・クラークに「若いけど、ものすごいドラムを叩くヤツがいるんだ。」と紹介されて、

「へぇ〜。そりゃクールだね!じゃあ一回聴いてみようか!」という流れで、ロン(ロナルド)をドラマーとして起用するようになった、とステージ上で語っておられましたが、


marsさんによると、約2年前にリリースされたデュークの新作にも参加しているのだそうです。


marieは当日、前方の席に座ってて、その”若いドラマー”がチラリチラリとこちらを見ていたので、あれ?どうしてかな?と思っていたのですが、まさかあの時の”ロン”だったとは・・・!!!




“あの時”・・・そう、2002年11月、4日ー6日まで行われた、リオン・ウェアの初来日公演。

ブルーノート大阪です。



このブログや私の事を古くから応援して下さってる方は、ご存知ですね…。

そうです、その時に私はリオン氏の楽屋を訪れ、土下座をして、弟子入りを志願したのです。



今ある私の、原点です。



その時、リオン氏はご自分の孫くらいの若いサポートメンバーをLAから連れて来ていました。

ロンはその時のメンバーの中の一人だったのです。当時はまだ、19か20歳位だったと思います。



リオン氏の公演は、オーラスでやっと客席は(余裕がありながらも)埋まりましたが、初日ファーストステージでは私を含めてオーディエンスはたった3名だったのです。


当日楽屋に押し掛け、ライヴ後も朝迄ずっとみんなと一緒にいました。ロンも最初からとてもフレンドリーに接して下さって、ブルーノート大阪のステージで一緒に写真を撮ったり、彼のお父さま

Ronald Bruner Sr. (ロナルド・ブルーナー・シニア)の事に付いて教えて下さったり・・・、そのお父さまの影響で自分もドラムスをやるようになったとか…、この後はヨーロッパにツアーに出るんだ、とか…

色んな事を話して下さいました。


marieがリオン・ウエア・ミュージックというプロダクションに入って、サンタモニカに住んでいた頃、

その時のサポートメンバー達とも時々逢いました。

私のレコーディングの時には、スタジオ迄応援に来て下さったり、

キーボード担当だった人とは、一緒にピアノを弾いたり、

ライヴの時にもみんなで来て下さって、「キミは絶対にこうなる(LAに来て音楽をやる)と思っていたよ!」

と、喜んで下さったり・・・


ある時は、リオン氏とトラブり、スタジオを泣きながら抜け出してしまったときも、心配して探して下さったり・・・。



でも、LAにいる間、ロンと会う事は一度もありませんでした。

ロンは既にその頃から、若手新鋭のドラマーとして引く手数多だったようです。


デュークが言っていたようにスタンリー・クラークをはじめ、リー・リトナー、マーカス・ミラーやケニー・ギャレット・・・etc...

こんな錚々たるメンバーと一緒に、活動していらっしゃるのだそうです。



大阪ブルーノートで逢ってから、7年半の月日が経ちました。

髪型が変わってて、名前も覚えていなかったので、私は、ライヴ中に、

”どうしてドラムスの方がこちらを見て下さってるんだろう?”って、不思議に思っていたのですが、


”でもあのドラムスは・・・どこかで聴いた覚えがある・・・”


と、確かに思っていました…。




ロンはmarieにこう言いました。


「今もリオン・ウェアと続いているの?」


marieは、少し間を置いてから、静かに"No"「いいえ」と答え、微笑みました。


「これからは?その予定はあるの?」


と、言われたので、



marieは再び、少し間を置いてから、静かに、でもしっかりと、"No"「いいえ」と答え、微笑んでロンの目を見つめました。



ロンは、それだけで全てを察したかのように深く頷き、



「僕もだよ!僕も、もう何年も会っていないし、これからもきっと、会うことはないだろう。」


と言い、



「今はどうしているの?」と言うので、



「日本でCDを制作しているところです。」と返事をしたら、



「僕も協力するよ!」


と、大きな声で、力強く言って下さいました。



「またLAにおいでよ。一緒に音楽をやろう!!!」



と、言ってくださいました・・・。(涙)




嬉しかった・・・思いもがけない、サプライズ・・・。


まるで天からの贈り物のような出来事でした。



前のポストでも書きましたが、

2002年の秋にボビーに逢うためにこのブルーノート東京に来て、その時にちょっとした出来事があり、

その後初来日したリオンに、大阪ブルーノートで弟子入りを志願したのだなぁ・・・と、その日、ふと思い出していたのです。

その時も、今日と同じようなドレスを着ていたなぁ・・・とか…、ここにはまだまだ書けない、色んな事を思い出し、


今までは余り思い出したくなかった、辛く思えた過去の歴史が鮮やかに蘇ってくるような思いがしました。



少し前の記事の中のモヤシ事件は、そういうことも含んでいました…。
あの時は面白可笑しく書きましたが、モヤシは、自分の願望、それが目前で無くなった、ということは、

目標達成寸前にして、全ての事が無くなってしまった、という、自分の痛い経験を比喩して書いたのです。



でも、リオン・ウェアも、あれだけ望んでいた来日公演を温かいファンに見守られて達成出来たし、CDもリリース出来たし、


それで良かった…それでいいじゃないか…と、思っていました。


自分のことを、少しだけ淋しく思いながら…。



でも、本当にこれで良かったんだと、しっかりと今は言えます。



あの時、約7年半前に、一生の”賭け”に出た、私の情熱が、消えないで、今もちゃんと残っている、


そして、それが、”育っている”ことを知る事が出来たから。




まさかジョージ・デュークのライヴに来て、あの時のメンバーに会うなんて、思いもしませんでした。



George Dukeに感謝、marsさんに感謝です…!


ありがとう、Ronald Bruner Jr.
情熱は生き続けている♪George Duke Live at Blue Note Tokyo(3)_d0031078_12582415.jpg

(marieは嬉しさと驚きのあまり、泣いてしまった後です。
2002年11月にも、これと全く同じポーズで写真を撮りました…。大阪に、たくさん残っています…。)


それもこれも、元はと言えばリオン・ウェアのおかげ…。
そしてあの時にリオンのもとに行かせてくれた娘や元伴侶のおかげ…、


そして、今私がこうやって何とか音楽を続けていけるのも、



今日もこれを読んで下さった、みなさまのおかげなのです。



ありがとう・・・。


CD制作も良い感じで進んでいます!みなさまの声援があって実っていきます!




感謝を込めて…
Kanafu Marie
by kanamarie | 2010-03-20 13:30 | LIVE